玉響記 2

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カテゴリ:雑記( 47 )

今なら歌えます

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1月も今日でお終い。午後からちょっと久しぶりに本降りとなった。
昨日の新聞に読者投稿記事が載っていた。タイトルの通りである。
若き日、県の独唱大会で歌うことになっていたのに出場しなかったという遠き思い出話だ。私も何という歌を歌うことになっていたかは忘れたが この方のような大勢の前ではなくPTAか何かの集まり程度だけど 何故か母が出なくて良いからと、、それも何処へ行ったか忘れたが母と外出した事があった。この方のような鮮明な思い出ではないが忘れられない。
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この記事はオールドブラックジョーだったという。
♪Gone are the days when my heart was young and gay
至って英語に弱い私が 何故か こんな風に歌っていた。意味も解らず・・・

今、この新聞に書かれているような意味だという事も知らなかった。
日本語の 🎶 若き日 早や夢と過ぎ わが友みな世を去りて あの世に楽しく眠り・・・
こんな歌詞も覚えがあるのに。内容はさっぱり解していなかった。
あの世に楽しく眠る友達が かすかに我を呼ぶ?!
そんな歌詞だったとも知らなかった。記事に書かれていたように 当時は解らなかったが 今は実感である。
フォスターの歌は おおスザンナ、草競馬、故郷の人々、金髪のジェニー等々 昔はよく歌ったけれど 何も考えず唯、口ずさんでいた。



by souu-4 | 2019-01-31 16:13 | 雑記 | Comments(14)

ロマンスグレー

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今朝のチコちゃんによれば 高齢者の事をシルバーというようになったのは 1973年頃 国鉄のシートの布が 残っていたグレー(?シルバー)を使ったからだという。
その色を貼ったシートをシルバーシートというようになったからで それからシルバー○○と広がったと言っていた。今のJRの優先座席はシルバーではなかったが以前はそうだったな?
それより以前、1955年頃 ロマンスグレーという白髪混じりの紳士の事を言っていた。
Wikipediaによれば「1954年、飯沢匡の小説『ロマンス・グレー』で取り上げたのが最初だが、米国映画「旅情」が日本でも8月に公開され、主演したロッサノ・ブラッツィのロマンス・グレーが魅力的で女性の間で話題となり、この言葉が流行語となった」とある。
ロッサノ・ブラッツィ 懐かしい!
今は グレーヘアというのが流行っているが 流行は繰り返されるのだろう。
白髪染めをすると なかなかやめ難い、「逆プリン」といい根元は白いのにその他の部分は染めたときの色のまま、どうかすると三毛になる。
私は流行とは関係ないが 染めるのが面倒になってきたのと顔の皺が多くなったのに髪の毛だけが黒いと不自然だから止めたいと美容院で相談したら 徐々に色を落として止める。3年計画くらいでやりましょうという事になっている。

by souu-4 | 2019-01-19 20:52 | 雑記 | Comments(12)

平成

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「平成最後の・・・」聞かない日はないというほど。特に天皇誕生日で振り返ることが多い昨今です。天皇陛下が皇后さまに感謝されている姿は素晴らしいです。昭和一桁生まれは中々奥さんのことなど褒めないですね。これも時代の変化でしょうか?
平成になったのは突然でした。
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昭和64年のお正月には あまり大きな声では言い難いけれど元号が変わるかもしれないという予感はありました。一週間ほどで「平成であります!」となり私にとって初めて元号が替わりました。
平らに成る。もっと難しい意味があるのでしょうけれど30年間には色んな事があり  あまり平らではなかったですね。急激な変化もありました。ロボットに教えられたり手伝ってもらったりスマホが大勢を占めるようにもなりました。
序で乍らスマホは2010年9.7%が2017年には75.1% モバイル端末は95%前後と横ばいですがパソコンは85.9%が72.5%と減少傾向にあるようです。
ところが今朝のTVではガラケーの携帯に戻す人が増えていると。電話とメールだけなら こちらで充分です。料金の問題だそうです。私はずっとガラケーとiPadとPCです。
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今朝、こんな広告が出ていました。
寝つきが良くぐっすり眠れたらイイのでもないのでしょうか?
元号が替わるのは 区切りですね。こんな時、色々考えてしまいます。
病気になって終えるのか?災害で行方不明になるのか?全く判りません。つい、考えてしまうのですが いつか必ずお終いの日はくるのです。が、その過程は気になりますね。ぽっくりは有難いですが それには・・ ある程度の片付けが必要です。出来そうで出来ないです。

そんな日々ですが今年の仕事も終え日頃出来ない家のこと、お正月もいつもと変わりはないのですが一応準備をしながら こんなものも作りました。
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奈良の山添村に 羊毛館というのがあり羊毛を染色し毛糸に加工しています。餅飯殿にもお店があるので時々覗いています。指先のない手袋が良いなぁと思っていたのですが5000円、思案して・・結局毛糸を求め自分で編むことにしました。その前に帽子を編みました。
寒い日は炬燵に足を突っ込み編み物も楽しいものです。


by souu-4 | 2018-12-25 10:38 | 雑記 | Comments(8)

余日10日

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今年も余すところ10日ともなれば遣っておきたいことが多くなってくる。
急いで手抜きをした為 失敗!って事もあり 手洗いすれば良かったのに洗濯機へカーテンをほり込み破れてしまったり・・・
朝から新しいのと替えなければならず。「急がば回れ!」ってよく言ったものだ!
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午後、雨が降り出したが 朝の内に動いておいて良かった!ってこともある。
アイのお散歩の頃には雨も上がった。
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頼まれものの色紙、毎年次の年の干支を書くようにということだが。猪という字はあまり面白くないかな?亥の方が作品にはなり易い。黒の色紙に金で書いてみた。猪突猛進という感じに書きたいと平仮名で「いのしし」と書き「し」を長く走っている風に書いたり 何種類か書いた。 好みがあるだろうなぁ。

今日は朝から・・

水素酸素吸入しながら健康美容法の記事が本日公開されたのでシェアしてと連絡がありFacebookにシェアし 娘の従兄弟たちに見てもらうよう連絡したり 親バカをしていた。
この暮れに何をするやら。
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by souu-4 | 2018-12-20 17:49 | 雑記 | Comments(14)

繰り返し

人生長くなると繰り返しが多いです。d0356076_22054521.jpg

日曜日は 特にそんな気がしました。それは それで良いのです。忘れることが多くなりましたので。

朝から防災訓練
今年は役が当たっているので 早めに 集合場所へ行き 皆さんに配布するものなどを整えました。三々五々集まって下さるご近所さん。

警察、消防署からの説明があり 消火器の使い方の練習です。
これは何年か前から やってますが 家にある消火器が肝心の時 動かないようでは役に立ちません。そっちの見直しが大事かと思いました。
消防署からは 義務化された火災報知器は10年になるので電池を点検するようにと言われましたが それも大事なことですね。
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この後、家の周りの掃除、クリーンキャンペーン!これは市が一斉にやるのです。
町中が綺麗になったでしょうか?
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この日は こんな物をいただきました。
私の住む所は ニュータウンという新興住宅です。もう30数年にもなるのにニューって?ネーミングを替えなければ思う程 古くなりました。これは二人分 準備していますが 予備もあって良いですね。
外に出ると 久しぶりに会う人もあり お喋りタイムが長くなり午後の予定が押してきます。急いで昼食を済ませ 次の予定へ。
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会場は ここではありませんが・・・
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興福寺の住職さんのお話を聞きに行きました。
中金堂の再建工事が始まる少し前にも何度か聞きに行ったのですが資料も残っていないのです。内容も忘れましたので 丁度良かったのです。
明治、昭和、平成での話でした。大正時代は記録も殆どないようなので この三代。
明治には「神仏分離令」が発令され 堂塔以外の寺地が没収され興福寺境内を奈良公園に組み込まれたり その後、五重塔の修理が始まったり変化があったようです。
昭和に入り戦争がありましたが 国宝館や仮金堂が建設されました。
平成に入り南円堂の修理も完了したり2000年には中金堂の解体が始まり今年6月には鴟尾が取り付けられ10月には落慶法要が営まれ美しい姿を見ることが出来ました。
が、全て完成したわけではありません。天平伽藍の復興も目指しているそうで多くの人に入場してもらい協力をお願いしたいとも付け加えられました。
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御本尊である木造 釈迦如来坐像が5代目、この度修理されたそうです。法相柱も美しく堂内は見る価値があります。この日、3度目でした。

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ここから奈良町のギャラリーへ足を運び 王朝の継ぎ紙展を見に行き 粘葉装の実演を観ました。

新しい事は特にない一日でしたが この繰り返しが 私の人生でもあるのでしょう。


by souu-4 | 2018-11-19 07:07 | 雑記 | Comments(8)

blogのこと

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200511月に始めたblog「文字を楽しむ」
振り返ってみることは殆どない。
文字のことを書くつもりだったが それでは見て下さる方が少なく日常の事など雑多になった。
2000
年にホームページを立ち上げ並行してのUPだったがブログの最初は毎日更新していたが 今では週一の更新がやっとだ。
最初に写真を張り付けたのが この河南省安陽市の殷墟遺跡の博物館(苑)というのか 私が行った時は「甲骨文発現地」という碑があった。その後、魯考王刻石(五鳳二年刻石)篆書から隷書への変遷が解かる貴重な碑石である。文字に関するものを書いていた。
元永本古今集、そしてその年の漢字は「愛」
この殷墟は2006年ユネスコの世界文化遺産に登録されたが私が行ったのは その前だった。10年以上経ち登録されると 相当変わっているだろう。d0356076_10463432.jpg


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その後、地元や奈良市、大阪など看板や碑などを撮影して回ったりお祭りなどの催しには出かけた。全てブログの為だった。
これだけの年月が経過すると「地蔵院川」の橋も付け替えらえたり「湖月」も他の店になったり 小さい事ではこんな置物も捨ててしまった。
同じことの繰り返し、それでは面白くないだろうと熱は冷め勝ちである。
世間全般にもブログ熱は下火なのではないかと思われるようになった。
そんな時、Facebookにも登録した。blogの時からの友達も多いが 粗、知り合いのみの「友達」である 気楽なことしか書かないがお知らせがイッパイ入ってくるので暫く会わない友達も元気なのが判って良い。

が、内容も充実させることが出来るblogは 偶に振り返りすっかり忘れている事も読み返すのが面白く Facebookとは違った魅力がある、と思っている。



by souu-4 | 2018-10-25 11:10 | 雑記 | Comments(12)

日々是好日


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今年の気候はやっぱりヘン!
今頃になって・・もう夏はとっくに過ぎ秋が来たというのに咲き出したのです。
夕顔って夏の花ですよねー  
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はい!昨日「日々是好日」という映画を観ました。大昔、娘時代に習った茶道、その時のお扇子や帛紗など保存しています。
映画では表千家という設定でしたが 私が習ったのはお裏でした。帛紗捌きなどちょっと違いがありますねぇ お抹茶で汚れた帛紗は そのままですが私の頭からは何もかも粗、忘れています。お扇子は開いて使いはしませんが こんなものを書いていました。「古の奈良の都の八重桜・・・」当時は奈良に住むなどとは思ってもいませんでした、筈です。
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「掬水月在手」"弄花満香衣"
水をきくすれば月 手り、花ろうすればかおりころもに満つ。
(水に写る)月も 手で掬(すく)えば手の中にすることができる。一本の菊の花でも手に持って楽しめば、その香りが衣服に染み込んでくる。たった一つの真理も、みんなの手にすることができる。
映画の中では お稽古の部屋のお床に季節のお軸が飾られていました。その軸の文字が気になって 真っ暗な映画館の中でメモりました。全部は書けていませんし手帖に書いたので 何だったか判らないものもありました。
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節分の頃だったと思いますが「不苦者有智」ふくはうち・福は内ですね。
勿論、実際に書かれていたものでなく 帰宅後勝手に書いたものです。それも1~2枚書いただけで何の工夫もありません。
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清風萬里秋

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「清風萬里秋」「薫風自南来」など殆どが禅語だと思われます。小さい文字のや人が前に居て見えないものなどもあり全部は読み切れませんでしたが 興味のある方に目は行くものなのですね。
主人公が 先生に「人に教えなさい」と言って頂くまでお稽古に通った24年間。 成長した姿の違いも然ることながら 長い年月には色んな事がある「同じことが出来る幸せ」をしみじみ味わわせてくれる映画でした。どんな日も その日を思う存分味わう、そんな気持ちで余生を過ごせるとイイなぁ。 

by souu-4 | 2018-10-19 09:07 | 雑記 | Comments(10)

新幹線ブルー

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「チコちゃんに叱られる」という番組。
当たり前に思っていることも 何故?と深く考えると答えられないことがある。
ボーっと生きているつもりはないけれど そう言えば何の気なしに使い 言ってる事は多い。
新幹線の車体の色の話があった。
新幹線が開通したのは 前のオリンピックの直前だった。新大阪駅へ見に行った。
当時、あの車体の色を 新幹線ブルーと言った。当時、日展に出品する時、額のマットの色を表具屋と打ち合わせる。「新幹線ブルーにして下さい」と頼むと「新幹線 見に行ってきます」と表具屋が言った。昨日のことの様にとまでは言えないが ハッキリ覚えている。
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新幹線0系の窓辺りの帯の色であるが あれがタバコ=ハイライトの箱の色だという。
そういえば当時は会議と言えばタバコの煙 むんむんの中行われていた。みんなハイライトを持っていたなぁ。
車両会社に就職が決まっていた弟が 開通前の試乗車に乗ったなぁ、
こうして昔のことはハッキリ思い出す。

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このところ、災害が多い。
出かける日に起こることが多く、早くから報道されることも多い。
6月18日、会の展覧会搬入日に地震があり 7月29日の例月競書の審査日が台風12号で大雨、8月23日これも展覧会の搬入日に台風20号、9月4日には台風21号が来た。この日はお稽古日だったが変更したので家にいた。この時は「スゴイ!」なんて窓から見る余裕もあった。そして台風24号が通過した30日は又審査。電車が朝から間引き運転でお昼には運休という。結局、快速列車は10時58分天王寺発が最終。それまでに乗らなければならない。帰宅難民になるよ、と言われて迷ったが仕事を持ち帰ることにした。
早めに出かけ歩きながら見るとデパートもスーパーも商店もみな初めから休業になっている。
早くも25号が日本列島を目指している。今週も3日搬入で会期は6~8日道頓堀でグループ展がある。来ないで!!
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和歌山の田辺へ入ったらしい。ここだと進行方向の左になるので この前のように右側でないから それ程ではない。帰りには大雨かと思い長い傘を持ち徒歩で駅へ行ったが風も雨も大した事もなく道で逢った人に「歩いているの?」と訝られた。 昼食後 仕事を済ませ速達で送るため本局へ自転車で走った。台風の為、本日の集配はなく明日になると。台風の所為で何もかも狂う。
犬の散歩に行く頃には雨が降り出したので食事も入浴も早めに済ませ就寝。
一日バタバタしたからか 眠ってしまって時折風の音に目覚めたがどれ程の風雨だったかしらない。
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4時ごろには目覚めてしまったが いつの間にか満月も こんなになっていた。 
明けた空は青く台風一過かな?


by souu-4 | 2018-10-01 09:37 | 雑記 | Comments(24)

猫の本とメガネ

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Facebookでは1年前の今日、こんな事を書いてましたよ、とお節介にも知らせてくれる。去年も一昨年も このダイヤモンドリリーが咲いたと書いていたらしいが今年は咲いていなかった。
不順な天気の所為で 今年はダメなのかと思っていると数日後には例年通りの花が咲いた。
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近くの和菓子屋さんでも季節の生菓子が出るとお抹茶を点てて・・・そんな時間を過ごしたくなる。
こぼれ萩 萩の花
今頃は東の山を見ると
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咲いているのだろうか?奈良には萩の名所、白毫寺がある。
あれから随分になるが あの時一緒に行ったあの友達も元気だったなぁ つい色んな事が蘇る。
そうそ、先日読んだ「猫思考」
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自由に生きるためにやらないこと?
やらないことリストが書かれている。

実は この前の日曜日、この著者のやらないことワークショップがあり参加した。
いきなり「遣りたくない事を3つ書いて下さい」と来た! 
やりたいことはイッパイあるけど もうこの歳になると遣りたくない事ってナイよ 
一人ずつ回って最後だったから やっと考えた。
何もしないなんて事をしたくない。ボーっと生きていたくない。
何事も歳の所為にしたくない。  かな?
正直、この場には若い人しかいなかった。こんな老婆のいう事は理解出来ないと思う。ずっと先に如何したいって希望に満ちている人の中で そんなノンビリとした時間のない者が何を言っても理解してもらえないと思っていた。参加者24名だったそうだが この答えの反応はあまり覚えていない。
遣りたいことは もっともっとステキな作品を書きたい。そしてこんなに楽しい事を後世の人に伝えたい。好きになってくれる人が例え僅かであっても伝わってくれればイイナァと思っている。
残り少ないからか遣りたいことがイッパイある。出来たらやり残さず旅立ちたい。
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段々、細かい文字が見え難くなってきた。大きくして見る方が楽!!
この眼鏡 宣伝料が半分くらいじゃない?よーーくコマーシャルしてる!
宣伝に踊らされたのならクヤシイ!!でも、拡大すると楽に見える

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 台風で近くの川に架かる橋の橋桁が1本流れていき通行止めになった。当分通れないだろうと思った通り、直す気があるのか??
ところが 関空の連絡橋。あの状態を見た時 当分無理だろうと勝手に思っていた。
が、早い!
勿論利用客の多い所は そうでないと不便だけど 人間ってガンバルネ~~
阪神大震災の時、ボランティア先で復興工事をしている人を見て「蟻ンコみたい!」なんて失礼な事を思った。アリさんも巣を壊されても黙々と復活させている。一緒にしたらいけないけれど 働く姿は一生懸命だった。

天災になんか負けるものか!!




by souu-4 | 2018-09-19 18:12 | 雑記 | Comments(14)

平成最後の終戦の日

今日は終戦の日、いや敗戦の日です。
記憶力は悪いという事もありますが、振り返るより前を向いて進みたいと思っているのですが。
進むには残りが少なくなってきました。この際、振り返って少しでも戦争はしてはいけないということを後に残る人に伝えるべきなのかもしれません。そう思う人が多いことも感じます。
今朝の新聞に終戦2週間後に当時11歳だった今の天皇陛下に香淳皇后が書かれた手紙とその返信でしょうか 陛下の手紙が載っていました。
=戦なき世を歩みきて思ひ出づ かの難き日を生きし人々=
30年間 一度も欠かさず追悼式に出席を続けられ来年は皇太子へ引き継がれます。
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私は大阪で生まれ幼稚園まで育ちました。この写真の裏には母の筆跡で昭和15年10月 防空演習の日と書かれています。この時の記憶は全くありませんので 映画かドラマのシーンのような気がします。既にモンペを履いています。これが嫌いだった記憶はあります。着物を潰して作ったのでしょう。紐を腰で括るのでトイレが間に合わないのです。この時、満3歳です。足手まといだったでしょうね。その後この辺りを訪れた時のことは誕生の地」=リンクあり=に書いています。
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幼稚園の「オサイク」と書かれた冊子のようなものが何故か残されて 中にこんなものがありました。金鵄勲章、キンシクンシャウと旧仮名遣いになっています。

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大日本帝国海軍と書かれたのは 勿論、先生でしょうけれど こんな子供にもそういう思想?を教育されたのでしょう。
幼稚園卒園後、奈良へ疎開しました。そこでは疎開っ子という目で見られ 今でいうイジメだったと思いますが そんな風には感じませんでした。
2年生の時の担任は 何故かそんな子たちをも大事にして 疎開先から転校していく時、街の写真館で記念写真を撮りに連れて頂きました。去年、亡くなり探したのですがその写真が見当たらないのです。
疎開後、大阪の第1回目の空襲で我が家は焼けました。3月13日23時57分~14日3時25分(約3時間半)大阪上空を飛んだB29は274機、アメリカの目標に我が家の辺りは入っていたことが書かれています。136,107戸 が被災したそうです。当然、私が通っていた幼稚園も全焼だったようです。
大阪では8月14日まで8回 大空襲があったようです。
祖父母だけが残っていたのですが その時の話は聞いていませんが姉が戦火の中 祖父が勤めていた銀行へ行ったらしいと話してくれた事がありました。奈良から生駒山の向こうが真っ赤だった記憶はあり 翌朝、父が探しに行きました。夕方、疲れ果てて足にマメを作って帰宅した事、その後数日して祖父母が疎開先へ来たことは覚えています。

学校へは小1でも馬草(まぐさ)を持って行く為 母と採りに行ったりイナゴを焼いて食べたり 私たちにはあまりまともな食料はなかったのか腐りかけたさつま芋を食べた記憶はあります。4才年上の姉は勤労奉仕に行ってました。
学校の帰り姉と歩いていると飛行機が低く飛んできて、近くを歩いていた従兄弟のお兄ちゃんが堤防の下へ押し倒してくれた事があり 多分、敵機だったと思われますが ひょっとして命拾いしたのかもしれません。
アルミのお弁当箱にジャガイモを裏ごしして白いご飯に見えるように入れたものを持たせてくれた事がありました。疎開先ではお百姓さんの子はご飯や分厚いおかきを食べていたのが羨ましかったです。
この辺りも私はボーッとした子だったのか詳しい記憶はなく 夏休みにお習字を習いに行ったこと、貧しいながら筆や硯もあったのは母が無理をしてくれたのか恵まれた方だったのでしょう。
大阪の焼け野原には数回行ったようで 疎開に持って行けないお皿やお茶碗が地中に埋められていました。ガラスのコップなどが瀬戸物にくっ付いて使い物ならないようでした。随分高温で溶けたのでしょう。

3年生の夏休みに大阪へ引っ越しました。勿論、元の家ではありません。
4,5年生になった頃には お稽古事をする人も出てきましたが そんな余裕はなかったようで高校生になって書道を習わせて貰ったのが最初でした。

記憶も曖昧です。それでも戦中、戦後は不自由もありましたが それが当たり前だと思っていました。不自由な生活にも耐えられる自信はあり我慢する事を覚えたのは収穫だったかと思います。




by souu-4 | 2018-08-15 17:57 | 雑記 | Comments(6)
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一瞬のきらめきを大切に


by souu
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